1週間の救護協定では終われないと設立
石巻獣医師会は、2010年9月に、石巻市と「被害が起こった場合、被災した飼い主からペットを1週間保護する」という救護協定を結んだばかりでした。石巻の獣医師は自らも被災した中、震災発生直後から避難所をまわり、ペットの保護や救護に当たってきました。
救護協定の1週間が過ぎましたが、とてもこのままでは終われないと、「石巻動物救護センター」を3月22日に立ち上げました。会員獣医師10名のうち、毎日2名ずつ常駐し、ペットの治療や診察を行っていました。
取材時の6月には、石巻浄化センターの敷地の中に(7月上旬に石巻市蛇田字新刈場143-3地先へ移転)、プレハブの事務所やテントが十数棟並んでいました。それぞれ本部、援助物資の倉庫、犬舎、猫舎などに使用されています。救護センターにはインフラ担当、犬舎・猫舎担当、動物管理、広報、炊き出し、医薬品処分などの部署があり、それぞれの担当者が、日々訪れるボランティアたちに指示を出して全体を運営しています。
当初から救護センターに関わってきた遠藤晃先生は語ります。
「石巻市との救護協定もできてはいました。しかし場所をどこにするかなどの具体的な計画はなかったので、非常に苦労しました。事前に決めておけば、スタートがもっと早くできただろうと思います。」
「今後、仮設住宅ができて、被災者がペットを引き取り、避難所から移った時に、このセンターも状況が変わっていくのでは。」
救護センター全体で6月9日現在、犬約70頭、猫約50頭を保護しています。その内20%は飼い主がみつからずに保護、残りは被災者から預かっています。被災者がペットと一緒に暮らせる環境ができれば、引き渡すことになります。
被災地へ駆けつけたたくさんのボランティア
3月11日の被災直後から、多くの獣医師やトリマー、そして一般の方がボランティアとしてセンターへ訪れています。
大阪から駆けつけた三代川祥也獣医師は、約1ヶ月間、石巻救護センターの中心的な存在として活動してきました。
「(ボランティア期間は)長かったような短かったような、でも充実した毎日でした。助けられた命より失った命の方が多いかもしれませんが、獣医師という立場で、石巻の方々の力になれた事は生涯の思い出になると思います。獣医師になって本当によかったと、心から思えた日々でした。」
ペットと一緒に避難する「同行避難」が多かった
災害が起こったら、ペットと一緒に避難する、ということが同行避難です。
自治体によっては「ペット同行避難ガイドライン」を設けているところもあります。
仙台市では想定される地震対策として獣医師会などと共に『地震の起きるその前に』など、ペットとの避難マニュアルを5種類ほど作っています。そこでは「動物たちと一緒に避難しよう」と呼び掛けています。
「同行避難」という考え方は、平成7年1月の阪神・淡路大震災で、組織的に行われた日本初の動物救護活動がその礎となって生まれ、平成16年の中越地震を経て確立されました。災害時に動物を保護する対策本部が、日本で始めて兵庫県動物愛護センターに設立され、全国に広まりました。
同行避難したペットの居場所も、避難所でのペットの受け入れ、ペット可の仮設住宅、ペット可の公営住宅の建設へと発展しています。
現在では宮城県の仮設住宅でも、ペットとの同居が認められています。
しかし、中には避難所に一緒に入ろうとしたら断られ、やむを得ず壊れた車の中で生活していた方もいました。飼い主だけではなく社会全体が、同行避難を理解し受け入れなければ、その効力は限られます。
阿部俊範先生は、各地の避難所などを回った結果、今回の避難の状況には特色があると言います。
「今回は日頃私どもが主張していた同行避難が、実際に行われた例が多かったと感じています。その意味で、避難の在り方に一石を投じたと思っています。」
「避難所では、動物と一緒にきた人たちが、集まっている部屋がありましたが、そこはなごやかな雰囲気で明るく、笑顔がありました。知らない人同士が集まる避難所でも、ペットを通して共通の話題や悩みを持っているので、打ち解けやすいのだと思います。また動物の存在がいやしになってくれたからです。」
ペットへの理解を広める「しつけ」
石巻市では多くの避難所で、ペットの同行避難が許されていました。しかし自治体が許可していても、避難所でペットと一緒にいられるかは「しつけ」ができているかどうかが大きく関わってきます。
「きちんとしつけができていれば、飼い主と一緒に長く避難所にいることができ、周りの人にも愛されます。そうでない場合は、避難所を立ち去らないといけなくなるケースもありました。厳しいしつけはいらないんです。人が大好き、名前を呼ばれたらすぐに来れること、オスワリ、フセ、マテ、などの基本的なことができていること。いつどんな時でも、人とコミュニケーションがとれるように教え伝えていくこと。家族の一員、さらには共に生きる社会の一員として、互いを思いやれる関係に育てはぐくむことが大切です。」
命を失ったペットたちのために
「地震直後、自分だけで逃げてきたことに気付いて、あわててペットを連れに自宅へ戻って津波に遭った人も多いです。抱きかかえて無我夢中で逃げて、財布も大事なものもみんな落として、ペットだけが残った人もいます。また震災当日の夜、あちこちからワンちゃんの悲鳴が聞こえたそうです。犬も悲鳴を上げるんだとその当時初めて聞いたけど、明け方になったら静かになっていたといいます。助かったペットはごく一部です。率では人間以上の死亡率だったかもしれません。」
「震災後、電気が来たのは16日目、水道は23日後、ガスに至っては50日後。その間は、満足な治療もできず亡くなっていきました。ほとんど手遅れです。そういう理由から、このシェルターの役割が終わった後には、慰霊塔を建てようと言っています。」